2020-02-25 第201回国会 衆議院 財務金融委員会 第5号
本案審査のため、本日、参考人として日本銀行総裁黒田東彦君、理事前田栄治君、金融機構局長高口博英君、国立研究開発法人日本医療研究開発機構理事長末松誠君の出席を求め、意見を聴取することとし、また、政府参考人として内閣官房内閣審議官伊吹英明君、内閣審議官渡邉その子君、人事院事務総局給与局給与第三課長植村隆生君、金融庁総合政策局長森田宗男君、総合政策局総括審議官白川俊介君、監督局長栗田照久君、財務省主税局長矢野康治君
本案審査のため、本日、参考人として日本銀行総裁黒田東彦君、理事前田栄治君、金融機構局長高口博英君、国立研究開発法人日本医療研究開発機構理事長末松誠君の出席を求め、意見を聴取することとし、また、政府参考人として内閣官房内閣審議官伊吹英明君、内閣審議官渡邉その子君、人事院事務総局給与局給与第三課長植村隆生君、金融庁総合政策局長森田宗男君、総合政策局総括審議官白川俊介君、監督局長栗田照久君、財務省主税局長矢野康治君
外務省の職員や内閣調査室関係者などが、実はこのレフチェンコがアメリカの議会で後にどんな諜報活動を行っていたかという説明をしたときに、有名なのは、我々政界では、フーバーというコードネーム、実名をレフチェンコが挙げた中に、石田博英元労働大臣もいましたし、社会党の勝間田という元委員長はギャバーというコードネーム、それからグレースという名前の伊藤茂とか、いろいろな、メディアも含めて九人の人を実は名前を言ったということがありました
○甘利国務大臣 私が国会議員になりまして何年かたったころ、まだ三十代のときでしたけれども、ある先輩議員から、石田博英労働大臣の功績を聞かされたことがありました。石田博英先生は、石田労政と言われているぐらい労働大臣を長く務められて、労働政策に石田ありと言われた方でした。
私は、地方自治体の中で、逆にいくと、優先順位みたいなもの、我々が昔若いころに非常にサポートした例えば石田博英さんなんかにいろいろなことを陳情に参りますと、君たち、今、日本国は追いつけ追い越せの時代なんだ、おれたちは国会議員だから、とにかく日本国を豊かにするために、先にどうしても優先順位をつけなくちゃいけない、そういう順位があるんだけれども、いずれ豊かになれば公平になるだろうということをよく聞いたのであって
そういう意味からも、ILOと日本の関係は大変深いものがございますし、私が子供のころ、これはたしか組合員の、たしか職員以外が労組に入れるか入れないかというようなことの問題をめぐってILOの方がいらっしゃって、その部分を、当時の労働大臣は石田博英さんだったですかね、かなり古いんですけれども、そことお話をされたと。
いずれにしても、やはりILOの考え方、なぜここでこれまで指摘をしなかったことを大胆に指摘してきたのか、それなりの理由があるわけでしょうし、また、過去のILOの歴史なるものも、一九六五年に委員会のある方がやってきて当時の石田博英労相といろいろ議論をしたというような話も聞いておりますし、こういうものについても、ILOの側は、実はアジアの地域にあっては日本に対する期待が非常に強いと思うのですね。
民主党の羽田特別代表が今半そでのお洋服を着ておられますけれども、実はあれは羽田さんより先に、通産大臣をやった江崎真澄先生とか、私のお師匠様の石田博英さんとか、みんな英國屋へ行ってつくったんですよね、そこがちょっとあれですけれども、半そで。大平正芳先生もそうですよね。 それはなぜかというと、私、当時秘書でして、暑がりですからよく覚えているんですけれども、国会の空調が二十八度に全部戻される。
○西川(太)委員 実は、先ほど質問に立たれた島津議員も、私も、かつて自由民主党の、労働大臣をお務めになった石田博英先生の秘書でございまして、ちょうど私どもが秘書をしておりましたころは石油ショックのころで、ローマ・クラブの悲観的な論調が大変支配をして、そういう中で、私どもの先生は省エネルックというのをだれよりも先にやりまして、風呂に入るよりシャワーを使った方が省エネになるというので、我々秘書もシャワー
○西川(太)委員 私のお師匠様は、有名な政治家で石田博英という人でしたけれども、西川君、役人は何かをやらないという理由を考えさしたら天才的なことを思いつくぞと、こういうふうに常々私に教えてくれましたけれども、今の答弁を承っていると、尊敬する稲川局長が——私は、開発銀行が金を貸して地元にやる気を起こさして、まさに自分の地域の生き死にの問題だということで、プランを立て、難しいいろいろな事業を乗り越えてやるから
私は、昭和三十六年、六〇年安保の後でございますが、石田博英先生の事務所にお世話になりました。そのころ、北海道の経営者協会の会長も務められました故岩沢靖氏と面識を得ました。岩沢さんの義理の息子さんである高橋さんを紹介をしていただきました。
○西川分科員 私は、学校を終えてから、今は亡き、名労働大臣としてその名をはせました石田博英先生の秘書を九年間、東京都議会議員を十六年間、国の政治と地方の政治を身をもって今日まで歩んでまいった者でございます。
○緒方事務総長 まず最初に、議長から、永年在職議員として表彰されました故元議員石田博英先生に対する弔詞贈呈の報告がございまして、弔詞を朗読されます。 次に、議員請暇の件についてお諮りをいたします。 次に、日程第一及び第二につき、左藤内閣委員長の報告がございます。両案を一括して採決いたしまして、全会一致であります。
律夫君 井奥 貞雄君 高木 陽介君 茂木 敏充君 山崎広太郎君 青山 丘君 東中 光雄君 委員外の出席者 議 長 土井たか子君 副 議 長 鯨岡 兵輔君 事 務 総 長 緒方信一郎君 ――――――――――――― 本日の会議に付した案件 永年在職議員として表彰された元議員石田博英
まず、元議員石田博英君逝去につき弔詞贈呈報告の件についてでありますが、去る十月十四日、永年在職議員として表彰された元議員石田博英君が逝去されました。 ここに謹んで哀悼の意を表します。 弔詞につきましては、お手元の印刷物のとおりの特別弔詞を、理事各位の御了承を得まして、葬儀当日、議長から贈呈していただきましたので、御了承願います。
永年在職議員として表彰された元議員石田博英さんは、去る十四日逝去されました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。 石田博英さんに対する弔詞は、議長において去る十九日既に贈呈いたしております。これを朗読いたします。
自治省財政局長 小林 実君 自治省税務局長 湯浅 利夫君 消防庁長官 木村 仁君 分科員外の出席者 警察庁刑事局捜 査第一課長 石川 重明君 国土庁計画・調 整局計画課長 柳沢 勝君 国土庁計画・調 整局総合交通課 長 小浪 博英君
これは昭和五十二年、はっきり申し上げますけれども、時の石田博英労働大臣、私は随分社会労働委員会でも質問をし、また当時の福田総理大臣等とも予算委員会等でやりまして、一応季節労働者が当時百二十日が六十日になって、最後には五十日に切り捨てられるという削減の結果が出まして、それがひいては季節労働者の不安定労働につながったということで、当時積寒給付金制度というのが石田博英労働大臣の段階で非常に御尽力いただいてできたわけです
また、昭和五十一年十月二十一日には、当時の運輸大臣の石田博英さんから、自動車整備士技能検定規則第六条の二の規定により、自動車整備士の一種養成施設として指定も受けておる学校でございます。この学校については、JRから全く通学定期が発行をされていないということでございます。この学院はJR定期の申請もしておるわけですが、指定申請書を出しておるにもかかわらず、なぜ指定学校となれないのか、お尋ねをします。
外務省条約局長 福田 博君 外務省国際連合 局長 遠藤 實君 外務省情報調査 局長 山下新太郎君 委員外の出席者 防衛庁防衛局防 衛課長 萩 次郎君 国土庁計画・調 整局総合交通課 長 小浪 博英君
私ずっと歴代のどの運輸大臣からこの工事が始まったかを調べてみますと、昭和四十七年の新谷寅三郎大臣のときに始まりまして、約十一億の工事、同じく徳永正利大臣のときにその十一億の工事が続き、江藤智運輸大臣のときで四十八年三十五億、木村睦男運輸大臣のときに四十九年に三十五億、石田博英運輸大臣のときに五十年に五十六億、田村元運輸大臣のときに五十一年に三十億、福永健司運輸大臣のときに五十二年に五十五億、五十三年森山欽司運輸大臣
○井上(泉)委員 石橋湛山先生は、確かにそういう大臣の言われるような政治姿勢で貫かれておったということは、湛山先生の著にも、そしてまた石田博英先生の著にも明記をされておるし、私はこういう立派な先輩政治家の流れを、今日の自民党政治の中で、竹下内閣の中で、経済的にも非常に摩擦の多い今日、この自由貿易体制というものを堅持しなければならぬと、これは石橋湛山先生も指摘をされておったことですから、そういうことから
それで、私は当時石橋湛山先生に非常なあこがれを抱いておりまして、総裁選挙において、本来私の立場からいえば石井光次郎先生の応援をしなければならぬ立場であったかもしれませんけれども、私は石田博英さんらとともに一生懸命に石橋湛山先生の応援をして、そして湛山先生が内閣総理大臣として晴れて昭和三十二年の一月四日に神宮参拝をされたとき、その御案内役をいたしたことでございました。
石田博英先生が一九八二年の中央公論で「小日本主義に還れ」、大体、大日本主義というものは軍国主義への道を歩む姿勢だ、あくまでも日本は小日本主義に返って、そして自由諸国との協調の中に今日の日本の繁栄の道というものを求めるべきである、その点からも軍備を増大をしていくという政治傾向とは断固として闘わなければいかぬ、それを選んではならない、こういうことを非常に主張されておるわけであります。